曇り時々晴れ通信

出来事、考え事、独り言。

夫婦、育児、そして家庭

結婚して14年。子どもは3人。一応、"安定している"という職に就き、妻は社会的賃金は低いと言われるももの専門職に就いている。昨今、男女の区別とか、育児に対する参画とか、いろいろなところでのジェンダーレス化が進んでいるけれども、私の場合、私の家庭ではどうなのか?振り返ってみました。

 

妻の職場は少数人数のほぼ女性ばかりなので、同じように家庭をもった人から独身の若い人までいるのですが、毎日職場であったことを話してくれる中で、ほぼ必ず同僚が発した不満や取り留めのない話が混ざっています。もちろんその中にも妻自身の意見や不満も入っているのですが、聞く側にしてみればそれは他人事のようであり、時には日々テレビのワイドショーで垂れ流されるようなありきたりな夫婦像だったり、本当にそんな人いるのかなと思うような行動だったり、あるいは似た者同士だなんてことを思ったり、うちとの比較対象として見ているに過ぎない感じなのです。根本には「人は人」という概念があるのからかもしれませんが、それにより妻が「うちはそんなことなくてよかった」と褒めて?くれるのが多少の救いであったりもします。でも褒めてくれるようなことはしていたのかな?とふと思うので、ここで一度回顧する気になりました。

 

まず、自分は育児に対して積極的であったか?ということですが、第一子(男)が生まれるまでは、多分に漏れず初めての我が子というワクワク感と親になる自覚を生もうとする中で、出産後はすべてが初めての体験ということもあり、いろいろな話や意見を聞き、その中には育児雑誌や先輩パパママの話も入っていて、試行錯誤していました。
そのとき一番印象に残ったのは、人生で初めて書類の「保護者名」に自分の氏名を書くようになったということ。今までは「子」であり、保護者欄には当然自分の親の名前を書いていたのが、ある日突然違う欄に書くようになるというのは、新鮮でもありとまどいでもあり、責任感の芽生えもあったと思います。(今ではもう自然に書いてしまいますが。)
この頃、世の中がイクメンというブームに騒ぎ出していて、当時の職場で「家でこんなことしてる」なんていう話をすると、「あんた、イクメンやなー」と言われたものでした。自分の中では本当に特別イクメンというものを意識したことはなく、単に母乳をあげるのは妻しかできない(調乳は別だけれども)から、それ以外のことは手伝うスタンスを持っていたので、例えば一番の力仕事である沐浴なんかは、自分の出番だと思い、お湯をためて冷ますところから、首を腕で支え、弱刺激の泡ソープで頭と体を撫でるように洗い、バスタオルを持って見守っている妻に引き渡すところまでは自分でしていました。別にそれが偉いというわけではなく、妻が小柄なのもあり、例え新生児であっても任せるのは不安なところもあったからで、時には二人で沐浴させたりもしたし、私が風邪なんかひいて体調不良のときは任せたりもしていました。突然泣き出す言葉も通じない赤ちゃんに苛立ちを覚えることもあったし、やはり父と母の抱き方では赤ちゃんなりに違いがわかるのか、妻のほうがあやし上手なので泣き止む確率が高いことがわかっていたため、手に負えないときはすぐに頼んだりしていたと思います。


他にやったことと言えば、食洗機を買ったことぐらいかもしれません。調乳メインになってくると、それはそれで哺乳瓶の消毒やら必要だし、離乳食が始まると、大人の食事とは別に子どもの食事が用意されるわけで、必然的に使う食器類の数も増えてきます。手洗いしていたものを、軽くすすいで並べて洗剤を入れてスイッチONで食洗機が数十分で洗ってくれるのであれば、その時間を入浴や他のことに使えるのであればこの上ないという結論はすぐに出たので、買うことにも抵抗も迷いもありませんでした。逆に熱風で乾燥までかけてくれるのですから助かります。みじん切りや細かく砕く必要があるのであればとフードプロセッサーも買ったし(当時の自分の仕事に関係していたからというのもあったし)、電子レンジは背の低い妻のことも考えて、扉が冷蔵庫のような横開きではないタイプを選んで、扉を開けた時にそこに皿が置けると思い選びました。すべてが手作りの育児でなければならないとも思ってなかったので、ラクできるところは便利にさせてもらおうというスタンスからの発想でした。

 

第二子(女)ができる頃には、長男の面倒を見なければなりません。長男のときは諸手を挙げて出産を待つことができたのですが、第二子となるとまだ幼い長男の世話の比重が7:3ぐらいで父に来ます。それも苦ではなくて、もう言葉もある程度通じる年齢でしたから、長男と二人で出かけたり、お風呂に入ったりして過ごせるので選択肢が増えてました。例えば、妻が美容院に行きたいといえば、長男と二人で留守番もできたし、検診に行く日も車の中で待ってたり、それなりに懐いてくれていたのだろうと思います。それでも一番困るのは、4人のうち誰かがダウンしたときでした。子が風邪や発熱すれば当然看病が必要になるのですが、ほぼマンツーマンで付く必要があるので、もう一方の子の面倒を見つつ、時には入れ替わったりと、家事や育児のローテーションが発生します。それにも増して辛いのは、私か妻のどちらかが体調不良に陥ったときで、これはもう一人で2人を見ないといけなくなります。本当にこれはしんどかったです。

 

第三子(男)がその約2年後に生まれましたが、一度経験した複数子育児の経験は活かされ、周囲からはベテラン扱いされつつ、「あぁ、"3人の子どもの親は強い"っていうのはこういうことかぁ…」と思いながら過ごしていました。だいたいの育児境遇は経験できたので、夜間に熱を出しても冷静に一次救急と二次救急を選んで受診したり、外出先で視野を広くして飛び出す我が子達に注視できるようになりました。(それでも迷子になったのは1,2回ありましたが)

 

今思えば、それなりに夫婦で分担できていたのかなと思います。普段から飲み遊び歩く習慣もなかったからかもしれませんが、妻が職場の同僚と会合があるならば、別に阻止するわけでもなく、車の運転が苦手な妻なので、病院や保育園の送迎はこちらが行い、でもやっぱり職業柄妻のほうが子ども目線に立つのが上手なので、声のかけ方とかなだめ方なんていうのはお任せしつつ、傍で観察していた自分がいたのでした。ちなみに私は新生児や言葉を覚えるまでの小さな子は意思疎通が難しいのでやっぱり苦手で、2~3歳になってからが得意(?)なこともあり、長女、次男がそれぞれ生まれるときは、進んで長男、長女の面倒をかって出ていました。

 

さて、前置きのようなものが長くなりましたが、対比という面で、見聞きした他人の家庭事情や生活から、私が思ったことを賛否両論あると思いますが、羅列してみたいと思います。

  1. 結婚を諦めた女の人はややこしい
    もちろん一概には言えないのですが、妻の職場に当てはめていると、俗に言うお局様のような人がいて、その人は当然キャリア的にも仕事はできるのですが、自分より年齢が下の既婚者には冷たく当たるようです。僻みややっかみも入っているのでしょうが、配偶者や子どもの事情を理由にした事柄には納得してくれません。自分には当てはまらないことなので、けしからんというスタンスが常に付きまとうようです。それでも彼女にも高齢になる親と同居されているので、ゆくゆくは介護なり理由が必要な場合も生じてくるのでしょうが、当面は本当に辛く当たりがりです。本人も結婚はしないつもり(それ以前に相手がいないし、聞いているとやはり理想が高い)なので、戦闘モードむき出しで向かってくるそうです。味方は、新卒後まもない若い後輩です。どちらも結婚していない(=所帯を持っていない)ので、主張は自分本位なことが多いです。独身でいることに否定はもちろんしませんが、もう少しでも理解があったらなぁといつも思っています。

  2. 彼氏(彼女)がいる独身女性は自分勝手の傾向
    もちろんプライベートを充実させることに異議は唱えないのですが、あまりにもそれを優先させるので、職場に支障を来させることが得意です。彼(女)らには、折衷案というものがなく、根拠のない自信で主張してくるようです。その昔「腰掛け」というスタンスがありましたが、見ようによってはそのような生き方で、女性の社会進出といえば聞こえがいいですが、ゴールには結婚→主婦という目標があり、主婦になっても出産・育児で落ち着いたらパートという既定路線を視野に入れているため、本気という感じがとても薄いのです。それはそれできちんとした生き方だとは思うのですが、せめて在籍している期間はもっと真剣に取り組んで欲しいところです。

  3. 夫婦のバランスが悪いところは子どもも偏る
    まず、夫婦間の立場が一方的である場合、その子どもも同じような性格が形成されるのではないかと言うことです。例えば妻が夫のことを虐げるところ(亭主元気で留守がいいパターン)は、同じように子どもも父親を虐げます。結果、子どもは父親に対して背中も見ずに育ってバカにするようになり、懐くどころか一緒になって虐げます。
    逆に亭主関白な場合は、子が男の子の場合は凶暴化し、母親に対しても偉そうな態度を取ります。女の子の場合は恐怖心で父親に懐かなくなり、母親とべったりになる一方で、自立が早いような気がします。
    次に、夫婦間の愛情表現のベクトルが一方的な場合、例えば妻→夫のケースだと子どもたちは皆父親に寄ってきます。これはそういう母親を普段から見ているので、自分たちも同じようにする傾向があります。たぶん我が家はこれです。別に自慢ではなく、表現という面では事実この矢印なので、子どもたちは今でも寄ってきます。もっと言えば、父親母親の別け隔てが一番少ないような気がします。よく「もし離婚したらどっちについていきたいか?」という質問には、即答できずに迷ってます。いやそれがいいのか悪いのかは置いておいて、仮に子どもが皆娘だった場合は、世間一般の娘>=息子と称されている父親の感情の中では有利なのかなと。
    反対に、夫→妻のケースでは、妻が辟易することが多いようです。というのも、夫が子どもを差し置いて「(自分の)相手して、構って」と寄ってくるので、妻にとっては家に男の子がもう一人増えた感覚とでも言うか、「いい大人が面倒くさいな、もう!」となるようです。ちなみに子どもは父親に脅威を抱かないので、伸び伸びする傾向があるかと思います。

  4. 子は親を見て育つけれども、やっぱり似るか反面教師にするかのどちらか
    私の両親はどちらも学校の先生だったので、今で言うモンスターペアレンツの対応など、昔からその大変さを身近に感じていましたので、「先生だけにはなりたくないな」と漠然とした思いがありました。それ以前に学力もなく、大学で教職課程も取ってないのでなれないのですが、コレになりたいというものが無い一方、先生だけにはなりたくないのでした。それでも、アラフォーにかかり、週末ミニバスで小学生を教える手伝いをしていると、ふと瞬間瞬間で「あれ?自分って何か教師っぽくない?」と思うことがあります。「こうこうこうだからこうするんだよ」とか「もっとここをがんばっていこう」とか「今のできてたね。だからこれからもできるよ」とか声かけているときって、先生っぽいこと言っているのです。そう考えると好きで始めたミニバスのお手伝いも、実は性に合っていたのかもしれません。血筋というやつです。でもコーチには先生のような縛りはありませんから、比べること自体失礼ですけどね。
    話がそれましたが、親が頑固だったり自分勝手だったりすると子どももそうなる可能性が大のようです。「これが許されるんだ」と認識してしまうと、友達や周囲にも同じような態度をとりがちです、中小企業のワンマン経営者の息子がまたワンマンに…という同族経営がこのパターンですね。でも中にはそういう親の態度を見て、「コイツのようにはなりたくない」と反面にする子ももちろんいます。
    最近、学歴のない親が子には高学歴であって欲しいと受験勉強を勧め、半強制的に勉強させるというシーンをテレビで見ました。自分が苦労したのがわかっているから我が子にはそうなってほしくないという思いはとてもよくわかります。けれど、それを既定路線にするのはまた別だと思うのですが…。自発的に勉強するから実を結ぶのであって、やらされてる感があるうちは、結果どうあれ最終的に親の思いが実らないような気がします。
    一方で、言葉で言えば「子どものやりたいことをさせてあげる」という大人も増えています。これもOKだと思います。しかし、言葉だけが先走って余りにも放任しているのが目につきます。やってはいけないことはやはり制止しなくてはいけませんし、それは教えるべきだし、正しくないのであれば修正の手助けをするのが親なのだと思いますが…。

何か久しぶりに長文を打ってしまったので、構成も言いたいこともきっとうまく書けていないのですが、何となく書いてみたい気分だったので、ダラーっと綴って見ました。本当にあくまで私見ですので、もし読まれて気分を害された方は「アホか!」と流してください。